コラム

6年制卒の薬剤師の質が低下してきた件|勉強し過ぎかも

薬学部は2006年から6年制になり、もうその1期生は薬剤師としての知識も十分身につき、各方面で活躍しています。

ここ最近の採用事情としては、大手チェーン、特に調剤併設ドラッグストアに就職する傾向がますます強まっています。人気がありますね。

かくいう私も、20年近く前に調剤併設ドラッグストアに就職しました。当時は比較的珍しかったでしょう。人気なんかありません。ドラッグストアは圧倒的不人気でした。

質より量の薬剤師採用事情

ドラッグストアへの就職人気は、ここ数年です。

中小規模の薬局が採用で苦慮し、薬剤師が確保できずに廃業なんて話もよく聞くなか、そうした大手ドラッグストアの採用力はうらやましい限りです。

薬剤師採用力の影で

ただ一方で、事業展開を拡大するあまり、質より量の採用に傾いている現状、残念に感じる事が多いです。

それは私が感じている事ではなく、おそらく現場ですでに働いている薬剤師が感じている事です。

富める者はますます富む。採用人数が多いドラッグストア、薬局には、自然と翌年も薬剤師が集まります。

ただ、これは少なからずメディアの責任もあると感じるのです。

今春(2019年4月)、薬剤師の就職内定者の「ランキング」は以下の通り。

  1. ウエルシアホールディングス
  2. 総合メディカル
  3. ツルハHD
  4. スギHD
  5. マツモトキヨシHD

※ただし、日本調剤・クオールHD・ココカラファインは非公開

もう数年前では考えられないほど、ドラッグストアの人気が高まっています。

というような記事がまことしやかに、しかも薬剤師向けのメディアで伝えられる事が、いびつな採用環境を招いているのではないでしょうか。

中小規模の薬局にとっては、たまったものじゃありません。待遇だって、小さい規模の薬局の方が結構圧倒的にいいんです。

大手のチェーンに入ったって、定年まで勤め上げる人なんでほんの一握り。離職率のデータなんか公表していませんから。

新卒薬剤師の質の低下が結構多くなってきた

一昔前は、優秀な薬学生はドラッグストアに就職する事などほぼ皆無。

しかし今では、製薬企業におけるリストラの多さから、少し敬遠される事情もあり、優秀学生もドラッグストアへの就職は当たり前になりました。

ただ一方で質より量重視という採用姿勢は変わらず、これは薬剤師不足から仕方ない側面もありますが、その不平不満が現場で働く薬剤師から多くなったと感じています。

6年制だからたくさん勉強して実習して優秀、なんて思い、すでに誰も持っていません。誰も口に出しては言いません。いや、言えません。

6年制だから4年制より秀でている、そんな事を思っているとしたら、たぶん学生さん、あなただけ。社会にでて苦しんでいる6年制卒の薬剤師はとても多いのです。

ただ4年制から6年制へ2年間の空白の期間を経て薬剤師となった方、優秀だなと思います。それは本音です。

学生の時も、そして社会に出てからも「6年制」というフィルターを掛けられ、きっと色々苦労してきているはずだから。

6年制薬剤師に伝えたい事

私が思っている事は、決して「今の6年制は質が悪い、ダメだな」という事ではありません。

むしろ逆で、6年間大学で学び、苦しい国家試験を通り、取得できる薬剤師資格にまず誇りを持って欲しいという事です。もう勉強し過ぎです。小学校から20年間勉強。

勉強時代が長いせいで、社会人になるころにはもう25歳ぐらいにはなります。4年制卒の社会人はもう3年程働いて、ある程度自立しています。

でも薬剤師は名刺交換、いやろくすっぽ社会人としての挨拶すらきっと出来ない。

もちろん大手チェーンであれば研修が割とみっちりありますが、それは調剤研修が主であって、社会人としてのマナー講義は、まぁ結構少ない。

たくさん勉強して、社会にでて、自信をなくす薬剤師が増えたように感じます。でもみんなきっと通ってきた道。薬剤師である事も関係ない。

落ち込む事はありません。どうしてもつらかった逃げればいいんです。人生わりと何とかなります。

薬学部を卒業したけど、免許も持ってるけど、薬剤師として働いていない人、結構います。薬剤師と働いていたって、結婚を機にすぐ働くなるかもしれません。

結構世の中は予測不能。

それはあなた自身の問題だけではなく、社会環境だったり、家庭環境にも大きく左右されるという事です。むしろ殆どの人は、たぶん思い通りにはいかないです。矛盾だらけ。

作家の重松清さんが、中高生向けに書かれたコラムの一節(「朝日新聞」2000.6.25)

だまされないほうがいい。

「青春には無限の可能性がある」なんて言葉は、たぶん嘘だ。中学生や高校生の日々、それは「自分はなんでもできる」と信じていられたコドモ時代に別れを告げ、真夜中に街の灯が一つまた一つと消えていくように「できること」が減っていく数年間なんだと認めるところから始めよう。

だって、それが現実だもん。「あってはならないこと」のはずのいじめが現実にはイヤってほどあるように、夢や可能性だって、そうそういつまでも丸ごと持っていられるわけじゃない。

 

可能性の明かりはいつまでも無数に輝いてはいない。でも、暗闇のなかにぽつんと瞬く明かりは、むしろまばゆさに包まれているときよりも温もりを感じさせてくれるものだ。

 

最後の最後に残る明かり、これだよ。ここだよ。なんだか『青い鳥』みたいだけど、どんなに風が吹いても消えない唯一の明かりは、自分の胸の中にあったりするわけだ。

しつこく言うぞ。何度でも言うぞ。中高生の数年間は可能性が減っていく日々だ。挫折や敗北感を噛みしめる連続だ。でも、だからこそ、受験の失敗でも失恋でもなんでもいい、「負け」に負けてしまわないでほしい。「負け」を正面から受け止める、その心だけは勝っていて欲しい。

コラムの一部ですが、これを読んだのは薬学部にいた時。

私自身、あんまり大学時代の事は楽しかった事しか覚えてないんですが、わざわざスクラップにしてとってありました。

きっと勉強も苦しんでたもかもしれないし、薬剤師という仕事自体にも悩んでたのかもしれませんね。もう覚えて無いですけどね。

このコラムは、重松清さんの「明日があるさ」というタイトルのエッセイ集として、2005年に発売してるので、もし興味があったら手にとってみてください。

「明日があるさ」